
父親と認識されなかった日々から、家族との絆を感じられる暮らしへ
いつか田舎で暮らしたいー
そんなふうに思いながら、都会で暮らす方も多いかと思います。中辺路町森林組合で働く井上博幸さんも、田舎暮らしに憧れる一人でした。その想いを実行に移した井上さんの原動力とは。
巡礼の道、熊野古道中辺路で、井上さんがこれまで歩んでこられた人生についてお話を伺いました。
忙殺の日々の中、ふと目に入った「林業フェア」
サラリーマン生活を経て、30歳のときに家族で和歌山県に移住。大きな決断に至った経緯について、お話いただきました。
「大阪でのサラリーマン時代は、子どもたちが起きているときの姿って、あんまり見れてなかったんですね。ものすごい仕事量で、家には寝に帰るだけ。そんな生活をずっとしていました。ある日、たまたま日中家に寄ることがあり、ただいま!と子どもを抱きかかえようとしました。すると当時3歳だった息子にうわーっと泣かれてしまったんです。これはもうお父さんとして認識されてないな、こういう生活はあかんなと、ひしひしと感じました」
忙しい生活の中で、井上さんの体にも不調がでてきました。病気になり、入院もして、「このままだったらあまり長生きもできないな」ということばかり頭に浮かんできたそうです。そんなときふと目に入った「林業フェア」の広告が、人生を変えるきっかけになりました。
「行こうという気はなかったのですが、仕事で外回りをしていたときに、そういや林業フェアってあったなと思い出しました。何も考えずに、会場を覗くだけでも、という感じで行ってみたんです。そこから、林業に対してというよりも、田舎暮らしへの興味がどんどんと湧いてきました」
実際に和歌山県を訪れ、今の森林組合の組合長や、一年前に都会からIターンで来られた先輩方にも会い、お話を伺った井上さん。「これを逃すともう先はないかもわからん、行くなら今しかないかもしれない」と思うようになったそうです。気になるご家族の反応は…?
「奥さんに一応文句は言われたんすけど(笑)、理解をしてくれましてね。『いつ行くの?』『いやもう来月…』という感じで、トントン拍子に話が進んでいきました」
当時を振り返り、笑いながら話してくださいました。こうして、幼い子ども二人と奥さんの家族四人で、和歌山県に移住することになりました。

山仕事は、山歩きを覚えることから
「林業に関してはド素人もド素人。林業の担い手不足と聞いていても、経験のない人間が果たして山で過酷な作業をやっていけるのかと、最初はちょっと不安でしたね」
サラリーマンとは一転、林業の世界に初めて足を踏み入れたときの心境について伺いました。
「僕が最初に教えてもらった方は、かなり年配の方でした。僕ら大阪の人って足が速いので、これはゆっくり歩かれるなと思いながらついていきました。するとその方はとっととっと歩いて、ついていくのがもうやっと。ましてや山を登ってからが始まりですからね。はぁはぁ言うて、もう作業どころじゃなかったです」
まず山を登るということが一苦労。そのときに先輩から言われた一言が、今でも心に残っています。
「山仕事は山歩きを覚えることから。例えば、こういうとこに足をかけたら滑るとか、平地で歩くのとは全然違うから、自分のペースを覚えていくこと。それからが仕事やで」
体力には自信があると思っていた井上さん。プライドが傷つけられるほどだったそうです。
「もちろん作業も重労働で、特に夏場なんかは、汗も強烈にかきます。これはやっていけるかなと、正直何回か思いましたね。命もなくなるぐらいの大怪我をする可能性もあります。それだけは注意しないといけないのですが、経験を積むと、だんだんとできるようになっていきます。まずはその土地に慣れること。そしてここに住みたいという思いがあれば、そんなに心配しなくてもいいかなと思います」

とにかく一番は子育て。子どもたちが幸せに生きていくことを後押ししたい
和歌山県に移住してから二人のお子さんが産まれ、現在は四人のお子さんのお父さん。田舎での子育てについて、朗らかなエピソードもお話してくださいました。
「朝、子どもを保育園に連れていこうと思ったら、子どもがいないんですよ。慌てて捜していたら、なんと近所のおばあちゃんの家で発見。『今日保育園休み~』と嘘をついて遊びに行っていた、なんてこともありましたね」
田舎は子どもが少なく、近所のおじいちゃん、おばあちゃんたちが喜んで面倒を見てくれるそうです。子どもたちもここでの暮らしに馴染み、家族で田舎暮らしを満喫されている様子が目に浮かびます。
「子どもが成長して社会人になるまで、こういう育て方をしてよかったなと思うことが、今の最大の目標ですね」

「蘇りの聖地」として人々が巡礼に訪れる熊野古道中辺路。
中辺路町森林組合では、熊野古道の整備事業も行っています。人々が想いを込めて踏みしめる山道を、丁寧に維持、管理、補修しています。
「大阪であのままいっとったら、多分もう今この世にいてないんちゃうかな。あのとき決断して、本当によかった」
これまで歩んでこられた人生を、笑いながら話してくださる姿が、心に響きました。
「子どもが幸せに生活できるように、レールを引いてやる、というまではできないですけど、後押ししていきたいですね」
祈りの道、熊野古道を整備をしながらそう話してくださる井上さんの言葉に、私も少し、背中を押してもらったような気がします。