
働く人がいてこそ、山が活きる。木を育てる循環を生み出したい
ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に登録されている、熊野三山の一つ、熊野本宮大社が佇む町、和歌山県田辺市本宮町。熊野古道を歩く人々が目指す地として知られるこの地域は、町の約90%を森林が占め、急峻な山地が広がっています。
この町の森林を守り、林業を支えているのが本宮町森林組合。組合長に就任して3年になる井戸 広(いど こう)さんに、林業の現状やこれからの山づくりについてお話を伺いました。
本宮町の森林と林業の今
本宮町森林組合は、2026年3月現在440名の組合員で構成されています。県や市の補助事業なども担いながら、本宮町全域に広がるスギやヒノキの人工林の管理をしています。
日本の多くの森林がそうであるように、本宮町でも、戦後の高度成長期に植えられた木々が最盛期を迎えています。しかし、当時と比べて木材価格は大きく下がり、現在はピーク時の10分の1ほどの価格になっているのが現状です。
価格が低迷しているため、働く人が集まりにくい。働く人がいなければ、森林は育てられない。
「苗を植え、木を育てて切り出す。その循環を作り出せていないことが、今の林業が苦しい原因」だと、井戸さんは話してくれました。
「父親の山の仕事で育てられた」
井戸さんはもともと、自動車会社でエンジニアとして働くサラリーマンでした。
「私自身は林業には関わっていませんでしたが、父親は山の仕事をして私たちを育て上げてくれました」
そんな思いもあり、退職後は生まれ育った本宮町へUターン。十数年後、本宮町森林組合の組合長に就任しました。

安全に働くための衛星通信システム
組合長になって知ったことが、林業従事者の死亡率の高さでした。
「他の産業と比べて10倍ほど高いことに驚きました。今でも全国で年間40人ほどが亡くなっています。これは何とかしないといけないと思いました」
山の現場では、電波が届かない場所も少なくありません。怪我をしても携帯電話が通じず、対応の遅れが事故の重大化につながる可能性があります。現に死亡災害の原因の70%は「発見遅れ」と言われています。
田辺市の他の森林組合にも呼びかけ、衛星を使う端末を導入。2025年から、作業開始時と終了時に現場から通信を送るシステムの運用が始まりました。
「怪我をしないことが一番ですが、もしもの時に対応できることはお互いの安心感に繋がります」
救える命を守るための環境づくりが整えられています。
作業の基本は「予測」と「判断」
一般的に、林業は危険な仕事と言われますが、基本に忠実に作業をすれば、危険な状況を未然に防ぐことができます。
「大切なのは、予測と判断。安全かどうかを考えず、ただ体を動かして作業すると予期せぬことが起きてしまいます。人間は先のことを予測できる生き物です。その予測は絶対ではありませんが、ある程度までは作業している人が一番予測できるはずです。予測できないことは先輩に任せる。この判断も大切です」
こうした取り組みの結果、同組合では6年間無災害を継続。安全を最優先にする意識が、現場にも浸透していることが数字にも表れています。

働き手に還元できる仕組みをつくる
林業では機械の購入や燃料費など、多くのコストがかかります。それでも確保したいのが人材です。現場で働く人にお金が回らなければ、森林放棄が進んでしまいます。森林は二酸化炭素を吸収して地球温暖化を和らげるだけでなく、水を蓄えたり、土砂災害を防いだりと、私たちの暮らしを支えるさまざまな役割を担っています。
高度経済成長期に植えられた木が今の価格になるとは、当時誰も想像していなかったはずです。同じように、50年後の社会がどうなっているのかを予測することはできません。
それでも、働く人がいてこそ山が活きる。
山が活きてこそ私たちの暮らしが守られる。
「経費を差し引いても、現場で働く人にしっかりお金が回る仕組みを作らなければ」
井戸さんはそう話してくれました。
山の循環を取り戻すための挑戦
本宮町森林組合では、新たな取り組みが始まっています。
一つは、業務管理のDX化です。これまでアナログで処理していた業務をデジタル化し、作業内容やコストを可視化するシステムを開発しています。足りないこと、余分なことを見極め、有効なことに投資することで収益改善を目指しています。
そしてもう一つが、製紙用のチップ工場の誘致です。約20年前に休止した製材工場跡を活用し、木材を動かす拠点として再生させる構想です。
「とにかく、木を動かさないと。山主さんたちの中には、自分たちでは動かす術がない方もいます。組合としてその間に立ちたい」
物流の仕組みや人員の確保などの課題はありますが、山の循環を取り戻すための挑戦が進められています。

先を見据えて、人と山を育てる
「木を切って、新しい苗を植えて、木を育てるという循環を生み出したい」
ここに井戸組合長の思いが集約されているように感じました。
木を育てるのも、人を育てるのも、時間がかかること。先を見据えて一つひとつ進めていく姿勢がとても印象的でした。
「働く人がいてこそ山は活きる」
この言葉が深く心に残っています。





